八方美人の先にあるもの
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前回記事たくさんの方に見て頂き有難うございます。一気に読者の方が増えたのでびっくりしました。もう少しだけ自分の話をさせて下さい。次からはもとの更新に戻ります(^_^)
昨日、しくじり先生を見ていたら小林麻耶さんがしくじり先生として出演されていました。子供の頃から周りに嫌われないように誰に対しても愛想を振りまくことで、逆にそれが自分を追いつめてしまい、最終的には自分がどういう人間であるのか、自分でも分からなくなってしまったという趣旨のものでした。
八方美人というのは辞書によると、誰からも嫌われないように、誰に対しても如才なくふるまうことを言うのだそうです。では如才無く、とはどういうことを言うのでしょうか。これも辞書を調べてみると、「手抜かりがない。気が利く。愛想が良い」といった言葉が並びます。
さて今回、初めてしくじり先生をしっかり見ました。特に小林麻耶さんが好きだったというわけではなく、なんとなく夕食を食べながらテレビのチャンネルをいじっていたら番組がちょうど始まったので見始めたら、小林麻耶さんの話に引き込まれ結局最後まで見てしまいました。
人に嫌われたくない、という考え方は自分の生き方を決める上での重要なファクターになりえます。最近人気の蛭子能収さんも、著書「ひとりぼっちを笑うな」の中で同じような事を書いていました。本の中で蛭子さんは、人に嫌われないように、自分がやられたら嫌なことはやらない。そして出来るだけ目立たないように、余計なことは何もしないのが一番と考えるようになったのだそうです。
小林麻耶さんの場合はその逆で、番組冒頭にもありましたが、子供時代に何度も転校しなければいけなかった事情からクラスと早く仲良くなりたいという意識が働き、誰にでも愛想を振りまいていく事が重要と考えるようになりました。八方ぶりっこ、という言葉も出ていましたが、ぶりっこも麻耶さんが人に嫌われたくない一心から愛想を振りまく中で自然と身に付いた、麻耶さんなりの生きるための武器なのだと思います。
人に嫌われたくないというのは誰しも思う事です。皆さんにもそういう意識が無くても、知らず知らずにやっていることが何かあるかと思います。
かくいう私は、何事も笑って済ましてしまう事がよくあります。子供の時から、両親に怒られたときにはよくへらへら笑っていたので、笑ってすむ事じゃないよとよく叱られていました。そしてこれが転じてかは分かりませんが、大人になった後も、相手が友人でも、学校の先生でも、会社の上司でも、都合が悪くなると出来るだけ相手に印象を良く思われようと、笑ってすまそうとする癖が身に付いてしまいました。まさに八方美人ですね。
そしてその結果、私には現在、本音で語れる親友と呼べるような存在がいません。本音を言うのが恥ずかしいのですね。本当の自分のことを知られて、軽蔑されたりバカにされたり嫌われてしまうのが怖いのです。
もちろん私にも友達と呼べる人はいます。誘われれば一緒に食事にも行くし、交流する事自体に抵抗があるわけではありません。ただ自分のやっている仕事の事や意見を聞かれてもそれらを言うのが恥ずかしいので、大抵は笑ってやり過ごしてしてしまいます。ほとんど相手の話を聴くだけで、たまに話を振られても笑って適当にうなずいて受け流し、次の話題に話が移るのを待ってしまいます。両親にさえ自分の本心は昨年留学を決心した時まで語ったことがありませんでした。
こんな事をずっと続けて現在まで来てしまいました。そして、次第に自分の殻に閉じこもってしまう事が多くなってしまいました。
正直な話、私はこんな自分を変えたいと思っています。もう取り返しのつかない所まで来てしまったかもしれないけれど、この留学を一つの契機にしたいと強く思っています。麻耶さんも八方美人を止めてありのままの自分で生きると決意を語っていました。表の顔しか見た事がなかったので、凄い苦労をされている方なんだと分かってずいぶん見方が変わりました。自分の生き方を変えるのは本当に難しい事です。開き直りとも取れるかもしれないけれど、それで現在の地位を確立しているのは本当に凄い事だと思うし、素直に尊敬できます。
麻耶さんが番組の最後で次のような事を話していました。
「嫌われるのは気にしない、自分を好きでいてくれる人に目を向け大切にしていく。」
ありのままの自分で生きていきたい、今回のしくじり先生はそれを再認識させてくれる良いきっかけとなりました。
次回からまたいつも通り更新していきます。読んでいただき有難うございました。
photo by Drodeian