【本の紹介】文・堺雅人
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これから不定期ではありますが、読んだ本についても触れていこうかなと思います。本の内容そのものと言うより、その周辺の取り留めのない話がメインになりそうですが。和書・洋書問わず取り上げていく予定です。
今回は堺雅人さんのエッセイ「文・堺雅人」です。
堺雅人さんといえば、もう知らない人は居ないほどの超有名な俳優です。早稲田大学を中退後、劇団での下積み時代を経て芸能界入り。2004年に放映された大河ドラマ「新撰組!」の総長山南敬助役で一躍有名になりました。
本著は2005年から約四年間、テレビ雑誌(TVnavi)で月一連載されていた文・堺雅人に手を加えて本にしたものであり、2009年に刊行されました。
本の中では、芝居を始めるきっかけとなった高校演劇部に入った経緯から始まり、母校の「先生」でもあった歌人・伊藤一彦や若山牧水との出会い、実家宮崎での思い出、日々の撮影や舞台における出来事や原作者との対談など、堺雅人さんのぼんやりとした思考や日常が割と脈絡なく語られています。仕事の合間に書かれたこともあり、堺雅人さんが普段どんなことを考えて仕事に取り組んでいるのかが垣間見れるエッセイとなっています。
私が堺雅人さんを初めて知った(演技を見たという意味)のは、2010年にフジテレビでやっていた「ジョーカー 許されざる捜査官」というドラマが最初です。といってもリアルタイムで見ていたわけでなく、その何年後かに立ち寄ったTUTAYAで何となく目に着いた一本でした。当時テレビを持っていなかった私は、仕事帰りに毎日のようにTUTAYAに寄り、棚に置かれた昔のドラマを片っ端から借りて見ていました。このドラマもそんな何となく選んだ一本です。
このドラマは錦戸亮さんや杏さんが共演する刑事もので、堺雅人さん扮する伊達一義は普段は温厚でおっちょこちょいな刑事である一方、凶悪犯を裁く時には冷酷な制裁者となる二面性をもった主人公。共演者との掛け合いも面白いドラマだったのですが、それ以上に堺さんの演技力や表情の豊かさに惹かれて一気に好きになりました
当時は、堺雅人さん主演の大人気ドラマ「半沢直樹」が終わり、ちょうどレンタル開始されていた時期。私は、他のドラマそっちのけで、半沢直樹とその少し前にやっていたリーガルハイを借りあさり、一ヵ月ほどで全部見終えていまいました。半沢直樹では銀行員として全編シリアスな役回りでしたが、リーガルハイではコミカルな演技かつ多弁な弁護士「古美門 研介」を演じ、そのギャップもまた惹かれるところでした。
本に話を戻すと、本書の中で堺さんは「品」が何であるかという事に、3章ほどページを割いています。ドラマ「篤姫」の将軍役でオーダーされた「いきいきと、でも、品がよく」という注文について、どう答えたら良いのか途方にくれていました。
「品が良い」、確かに人を表す言葉としてよう使われていますが、実際深く考えた事はありませんでした。どんなことなんでしょうね、難しいです。
何となく漠然としたイメージはあります。私の頭には「育ちが良い」とか「格式高い」いった言葉が思い浮かびました。一朝一夕で身に付くようなものではなくて、その人の長年の生活や周りの環境の影響を受け、その人の中から染み出てくる佇まいというか、雰囲気のようなもの。そんなぼんやりとしたイメージが「品」という言葉にはあります。
堺さんは本の中で「品」を花瓶にいけられた一輪の花に例えています。
たとえば「品」は、僕に花瓶にいけられた一輪の花をおもわせる。いけられた花をながめながら、僕はその花の本来のすがた―野にさく様子や、まわりの自然―をイメージしようとする。それがなじみのない花ならば、イメージはたよりなく、とりとめがない、花がまるごとそこにはないからだ。
引用元:堺雅人・文
はっきりしない「品」という言葉。堺さんはその「まわりの自然」にあたるものとして、ふるびた屋敷や代々つづく家業、身分制度や嫡子といった「家」があるかもしれないと説いています。そして堺さんは篤姫の撮影が終わった際、まだ答えが出ていないとした上で、次のように締めくくっています。「品とは、だれかがまもり、うけついでくれたもの」ではないかと。
実は「品が良い」というのは、私が堺雅人さんに持っているイメージそのものでもあります。そういう風に見せるのが役者の仕事と言われればそうなのかもしれませんが、少なくとも私には、半沢直樹でもリーガルハイでも常にそんな印象を持ち続けながら見ていました。
本人も本の中で言っていますが、品があるかないかを決めるのは自分では無く周りの人。見た人が「あの人は品があるな~」と思えば、それが例え幻想的に作り上げられた虚構のものであっても、ある意味正解なのかもしれません。
何が言いたいのか分からなくなってきたので、ここら辺で締めたいと思います(^^;)。堺雅人さんは本の中で、コトバやヒトビトといったカタカナ語を度々使っています。俳優という人たちがどういった人達なのかは私にはまだ良く理解できていませんが、それを見て何となく、世俗から離れ、世界を俯瞰している様な印象を受けました。ドラマや舞台も現実を則して作ってはあるけれど、そこは台本のあるフィクションの世界です。いつもそんな所に身を置いている俳優たちにとっては、もしかしたら私たちとは世界の見え方が違っているのかもしれません。
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