相反する感情
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本記事は特にネガティブ過ぎる内容なので、苦手な方は本当に注意をお願いいたします。私個人の事ですが、感情的、直接的な表現が多く含まれています。学校から帰る電車の中でぼーっと考えていた事を衝動的に文章に起こしたので、推敲もほとんどしていません(あとで見返して恥ずかしくなったら消すかもしれません。)文章もめちゃくちゃですが、それでも問題ないよという方は続きをお願いします。
日本に居た時と全然変わっていない自分がとても嫌になります。
折角カレッジにいてネイティブと会話を練習する良い機会なのに、自分から話しかけずに話しかけるのを待ってしまう自分。もっと話しかけて、クラスメートと仲良くなっていきたいのに、どこか自分でブレーキをかけてしまう自分。
もっと話したいのに、話したくない。自分でも良くわからない感情にいつも振り回されています。
どうしていつもこうなっちゃうんだろう。といっても理由は何となく分かっています。私なんかと話しても面白くないんだろうなという気持ちが内心にずっとあって、あちらから話しかけてくれるならそれは少なくとも私と話したいんだろう、と納得して対応できます。
でもきっと誰もそんなことは気にしていないんですよね。それは分かっているんですが、いつも勝手に心にセーブを掛けてしまいます。
折角話しかけられても、今度はいつ自分から離れていいくのかという事が気になり、相手にただ歩調を合わせた笑顔と相槌。喋ってる内容も、なんか全てが適当に繕った感じで中身の無いペラペラの言葉。
もう本当に嫌になります。
カナダに来て何か変わることを期待していたのに、今のところは何も変わっていません。唯一変わったことといえば、カレッジの授業について行けるくらいに英語が上達した事くらいです。
でも将来海外で働いていきたいことを考えると、ネイティブに混じりもっと議論できる英語力を身に着けないといけない。スピーキングもリスニングもまだまだ足りません。もっともっと普段から彼らと真剣に議論して、ちゃんと理解して、自分の意見をもっと発言していかないといけないのです。
今がその絶好の場なのに、こんな事で悩んでいる自分が本当に嫌いです。もうカレッジでの生活はスタートしてしまっていて、残された時間はあまり無いのに。どうしたら良いのか本当に分からないです。
このままナアナアで過ごしていくときっと高校、大学、そして社会人時代の二の舞いになってしまうかもしれない。他人を拒絶して一人部屋で過ごしていたあの十数年。もう戻りたくないです。
感情の爆発を向ける先が現状ブログだけというのも問題かもしれません。今思っている内容を誰か他の人に話すことができれば少しは違ってくるかもしれないです。でもそんな人が周りにいるならきっとこんな事では悩んでいない筈なので、堂々めぐり。自分が何に悩んでいるのかも分からなくなってきました。
湧き出てくる感情とそれを押し殺す感情。両者がせめぎ合い、最終的にはいつも後者が勝ってしまっています。自分の殻を破るにはきっかけと時間が必要、よく言われることですが。本当にそのようなものがあるのか、自分は変われるのかという疑問がいつも頭の中でリフレインされています。
でも結局考えても答えは出てこないので、そして自分で自分自身を変えることができないなら、結局そこにすがりながら生きていくしかないのかなぁ・・・。以前も同じようなことをブログで何度も書いていますが、結局自分の中で結論は出ていません。
正直とてもつらいです。タイムマシンがあるなら、幾分マシだった小学生からやり直してみたい気持ちまであります。考え方や生き方が180度変わるかもしれない。
でもそんなこと言っていてもしょうがないので、結局自分なりに出来る範囲で生きていくないんですよね。苦しいけど、もっと苦しんでいる人はたくさんいる、私だけが特別じゃないんだと考えれば気持ちが少し楽になります。
冒頭からだいぶ話がずれてしまいましたが、色々書いたらだいぶ落ち着いてきました。また明日から頑張りたいと思います。最後まで読んでいただいた方、気分を悪くされましたら本当にごめんなさい。どうもありがとうございました。